古典文学、特に『枕草子』などを読んでいると、心に残る響きを持つ言葉たちに出会います。その中でも「いとわろし」という表現に、ふと手が止まった経験はありませんか。「なんとなく良くない意味なんだろうな」と想像はつくものの、具体的にどのような状況で、どんな気持ちを込めて使われる言葉なのか、深く知る機会は少ないかもしれません。実は、このいとわろしの意味
を理解することは、平安時代の貴族たちの繊細な美意識や価値観に触れるための重要な鍵となります。この記事では、いとわろし
という古文
特有の表現を「いと」と「わろし」に分解して基本的な構造から解き明かし、有名ないとをかし
との違いや、『枕草子』における具体的な使われ方まで、分かりやすく探求していきます。この言葉が持つ奥深い世界を知れば、古典がもっと身近に、そして面白く感じられるようになるかもしれません。
この記事を読むことで、以下の点が明らかになるでしょう。
・「いとわろし」の正確な意味と品詞分解
・似た言葉「あし」との微妙なニュアンスの違い
・『枕草子』など古典作品での具体的な使われ方
・「いとをかし」との対比や現代的なユーモアとしての返し方
いとわろしの意味を分解!古文の基礎を学ぶ
ここでは、いとわろしの意味
をより深く理解するために、言葉を構成する要素に分け、それぞれの役割やニュアンスを詳しく見ていきます。古文の基本的なルールを知ることで、この言葉が持つ本当の響きを感じ取ることができるようになるかもしれません。いとわろし
という一つの表現から、古典の世界への扉を開いてみましょう。順に見ていきましょう。
「いとわろし」の基本的な意味
『枕草子』で「いと」が持つ意味
「わろし」と「あし」の微妙な違い
古文における「いとわろし」の例文
「いとわろし」の具体的な使い方
対義語?「いとうれし」の意味
「いとわろし」の基本的な意味
いとわろしの意味
を正確に捉えるためには、まずこの言葉を二つのパーツに分解してみることが有効です。それは、副詞の「いと」と形容詞の「わろし」です。まず「いと」は、現代語の「とても」や「非常に」にあたる言葉で、後続の言葉の意味を強調する役割を持っています。次に「わろし」ですが、これは形容詞「わろし」の終止形(文を終えるときの形)で、「よくない」というのが中心的な意味になります。したがって、これらを組み合わせた「いとわろし」は、文字通り「たいそうよくない」「非常に感心しない」と訳すのが基本となります。しかし、ただ「悪い」と一言で片付けられないのが「わろし」の奥深さです。文脈によって、その「よくない」のニュアンスは様々に変化します。例えば、物の出来栄えに対して使われれば「出来が悪い」「みすぼらしい」、人の振る舞いや才能に対して使われれば「感心しない」「下手だ」「みっともない」、経済的な状況を指せば「貧しい」「暮らし向きがよくない」といった意味合いで解釈されることがあります。このように、「いとわろし」とは、単に物事の絶対的な悪さを指摘するのではなく、話者の価値観や美意識に基づいて「好ましくない」「感心できない」という主観的な評価を下す際に用いられる、非常に繊細な表現であると考えることができるでしょう。
『枕草子』で「いと」が持つ意味
『枕草子』の世界を彩る上で、副詞「いと」の存在は欠かせません。いと
の意味
は、前述の通り「とても」「たいそう」といった強調ですが、『枕草子』におけるいと
は、単なる強調以上の役割を担っているように感じられます。清少納言は、自身の心に触れた物事に対する感動や評価を表現する際に、この「いと」という言葉を非常に効果的に用いています。最も有名なのは「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。いとをかし」の一節でしょう。この「いとをかし」は、「非常に趣がある」「すごく素敵だ」という、清少納言の感動が凝縮された言葉です。もしここに「いと」がなければ、「をかし」という感想もどこか平板なものになってしまうかもしれません。「いと」があることで、彼女の心の高ぶりや、その瞬間に感じたときめきが、生き生きと読者に伝わってくるのです。同様に、「いとつきづきし(たいそう似つかわしい)」「いとあはれなり(たいそう心打たれる)」など、「いと」は様々な形容詞や形容動詞と結びつき、清少納言の鋭い感性や美意識を表現するための、いわば魔法のスパイスのような働きをしています。いとわろし
もその一つであり、「いと」がつくことで、彼女が何に対して「たいそう感心しない」と感じたのか、その強い評価の気持ちが際立つのです。『枕草子』を読む際には、このいと
という一語に注目することで、作者の心の動きをより深く感じ取ることができるかもしれません。
「わろし」と「あし」の微妙な違い
古文で「悪い」という意味を表す言葉には、「わろし」の他に「あし」という形容詞も存在します。これらはどちらもネガティブな意味を持つ点で共通していますが、そのニュアンスには微妙な、しかし重要な違いがあるようです。一般的に、「あし」は客観的かつ絶対的な基準で「悪い」と判断される状態を指すことが多いと考えられています。例えば、人の道に外れた行為や、機能的に欠陥がある物、あるいは明らかに有害な事柄など、誰が見ても「悪い」と断じられるようなケースで用いられる傾向があります。いわば、善悪の「悪」に近い、強い否定の言葉と言えるかもしれません。一方で「わろし」は、そのような絶対的な悪さというよりは、話者の主観的な価値観や期待に基づいて「あまりよくない」「感心しない」「好ましくない」と評価される際に使われることが多い言葉です。つまり、絶対的な「悪」ではなく、ベターの反対、ベターではない状態、すなわち「まあまあ悪い」といった相対的な評価のニュアンスが含まれることがあります。「あし」が善の対極にある「悪」だとすれば、「わろし」は良の対極にある「不満」や「不十分」といった感覚に近いかもしれません。例えば、味について評価する場合、腐っているなど明らかに食べられないレベルであれば「あし」が使われ、期待したほどの美味しさではなかった、という場合には「わろし」が使われる、といった使い分けが考えられます。この「わろし」と「あし」の違いを理解することは、古文の世界における人々の繊細な価値判断や感情の機微を読み解く上で、非常に興味深い手がかりとなるでしょう。
古文における「いとわろし」の例文
いとわろし
という言葉が実際の古文
の中でどのように使われているのか、具体的な例文
を見ることで、そのニュアンスはより鮮明になります。古典文学の代表格である『枕草子』や『源氏物語』から、いくつかの例を見てみましょう。まず『枕草子』の「すさまじきもの(興ざめなもの)」の段には、こうあります。「人のもとに来て文を見るに、なほ同じ人のがあるは、いとわろし(人の所に来て(その人宛ての)手紙を見ると、また(いつもと同じ)別の恋人からの手紙があるのは、たいそう感心しない)」。ここでは、恋人の浮気現場に遭遇してしまった際の、興ざめな気持ち、不快感が「いとわろし」と表現されています。単に「悪い」というよりは、「見てしまった自分も気まずいし、感心できたものではない」という複雑な心境が滲んでいるようです。また、『源氏物語』の「若紫」の巻では、光源氏がまだ幼い紫の上を見初める場面で、彼女の祖母である尼君が、若い女房たちの行儀の悪さを嘆く場面があります。「今めかしきことどもを好み、あてやかに装ひ、…心もてなく、見るに堪へぬまでなりゆくも、いとわろし(現代風の派手なことを好み、上品に装い、…軽率で、見ていられないほどになっていくのも、たいそうみっともない)」。ここでは、若い世代の軽薄な振る舞いに対する、年長者からの「感心できない」「嘆かわしい」という評価が「いとわろし」に込められています。これらの例文
から、いとわろし
が道徳的な非難だけでなく、美意識や品性に関わる評価としても使われる、深みのある言葉であることがうかがえます。
「いとわろし」の具体的な使い方
いとわろし
の具体的な使い方
は、多岐にわたりますが、その根底には話者の「期待外れ」や「不快感」、あるいは「美意識に反する」といった感情が見え隠れします。この言葉は、単に事実として「悪い」と述べるのではなく、主観的な評価を下す場面でその真価を発揮するといえるでしょう。例えば、ある人の書いた文字や描いた絵に対して「いとわろし」と言った場合、それは「非常に下手だ」という意味になりますが、そこには「もっと上手であるべきだ」「この程度の出来栄えでは感心できない」という、話者の基準や期待が反映されています。また、人の服装や身なりに対して使われれば、「たいそうみすぼらしい」「みっともない」といった意味になり、その人の品性やセンスに対するネガティブな評価を示唆します。これは、平安貴族社会がいかに見た目の調和や品位を重んじていたかの表れとも考えられます。さらに、状況そのものに対しても使われます。例えば、期待していた客が来なかったり、楽しみにしていた行事が雨で中止になったりするような、興ざめな状況を「いとわろし」と表現することもあります。この場合の使い方
は、「残念だ」という気持ちに近いかもしれません。このように、「いとわろし」は、物の品質、人の才能や振る舞い、そして状況の好ましさまで、幅広い対象に対して、話者の美意識や価値観というフィルターを通して「好ましくない」というレッテルを貼るための、非常に便利な言葉だったのではないでしょうか。
対義語?「いとうれし」の意味
いとわろし
が「たいそうよくない」というネガティブな評価を表す言葉であるならば、その対極にあるポジティブな感情はどのように表現されるのでしょうか。その一つとして考えられるのが「いとうれし」という言葉です。いとうれしの意味
は、言葉の構造を見れば非常に明快です。強調の副詞「いと」に、感情を表す形容詞「うれし」が組み合わさっており、「たいそううれしい」「非常に喜ばしい」という意味になります。これは、心からの喜びや、満ち足りた気持ちを素直に表現する際に使われる言葉です。「いとわろし」が、対象との間に距離を置き、批評的な視点から「感心しない」と評価するニュアンスを持つのに対し、「いとうれし」は、対象に対して心が動き、喜びという感情が内側から湧き上がってくるような、より直接的で肯定的な表現といえるでしょう。例えば、待ち望んでいた人からの便りが届いたとき、あるいは試験に合格したときなど、個人的な喜びが最高潮に達した場面で「いとうれし」と表現されたはずです。このように、「いとわろし」と「いとうれし」を並べてみると、平安時代の人々が、「いと」という共通の強調語を使いながら、物事に対する評価(わろし)と、自身の内なる感情(うれし)を、巧みに表現し分けていた様子がうかがえます。両者は単純な対義語という関係性だけではなく、当時の人々の心の働きを理解する上で興味深い一対の言葉であると考えることができるかもしれません。
いとわろしの意味を比較!いとおかしとの違いや返し方
いとわろしの意味
をより深く知るためには、他の有名な古文表現と比較してみることが有効です。特に、同じ『枕草子』で頻繁に使われる「いとをかし」との違いを理解することは、清少納言の感性の両極を知る上で欠かせません。ここでは、言葉の比較や、様々な作品での使われ方を通じて、いとわろし
の持つ多面的な魅力に迫ります。順に見ていきましょう。
有名な「いとをかし」との違い
『枕草子』の「いとわろし」の場面
「いとわろし」はどんな古文に登場?
現代語訳するときのポイント
「いもおかし」への粋な返し方とは
いとわろしの意味を総括
有名な「いとをかし」との違い
古文、特に『枕草子』を学ぶ上で、いとをかし
という言葉は避けて通れません。いとわろし
を理解する上で、このいとをかし
との違いを明確にすることは非常に重要です。「いとをかし」は、「とても趣がある」「非常に風情がある」「素晴らしい」といった、ポジティブな感動や賞賛を表す言葉です。心が惹きつけられるような美しい風景、興味深い出来事、優れた芸術作品など、知的な好奇心や美的感覚が満たされたときに使われます。「をかし」の根底には「(対象に)引かれる」というニュアンスがあり、そこから「興味深い」「面白い」「美しい」「風流だ」といった幅広い意味に発展しました。一方で「いとわろし」は、前述の通り「たいそうよくない」「非常に感心しない」というネガティブな評価を下す言葉です。そこには美意識に反する物事への不快感や、期待外れに対する失望感が込められています。つまり、清少納言のアンテナに触れた物事に対して、心がポジティブに動いた場合は「いとをかし」、ネガティブに反応した場合は「いとわろし」と表現される、と考えることができます。この二つの言葉は、彼女の鋭い感性の両極を示す、いわばコインの裏表のような関係にあるのかもしれません。面白いのは、同じ対象であっても、見る角度や状況によって「をかし」とも「わろし」ともなりうるところです。この使い分けにこそ、清少納言の繊細で複雑な物事の捉え方が表れていると言えるでしょう。
『枕草子』の「いとわろし」の場面
いとわろし
が『枕草子』の中でどのように生き生きと使われているか、具体的な場面を見てみましょう。いとわろし
が印象的に使われる枕草子
の段の一つに、「ありがたきもの(めったにないもの)」があります。この段で清少納言は、世にも珍しいものの例を次々と挙げていきますが、その中に「舅にほめらるる婿。また、姑に思はるる嫁の君」という一節があります。つまり、舅に褒められる婿や、姑に愛されるお嫁さんは、めったにない珍しい存在だ、というのです。そして、この後、舅が良い婿君を褒めちぎる様子を描写し、最後にこう締めくくります。「…と人の言ふを聞きて、げにとおぼゆるも、いとわろし(…と人が言うのを聞いて、本当にそうだなあと思うのも、たいそう感じが悪い)」。ここでは、舅が自分の娘の夫を褒めているのを聞いて、「まあ、本当にその通りですわね」と相槌を打つ状況そのものが「いとわろし」とされています。これは、直接的に婿や舅が悪いと言っているのではなく、その手前味噌な状況に同調せざるを得ない気まずさや、お世辞を言わされているような居心地の悪さ、そういった場面の空気感全体を「感じが悪い」「興ざめだ」と評しているのです。このように、清少納言は単に物事を善悪で判断するのではなく、その場の雰囲気や人間関係の機微を敏感に察知し、「いとわろし」という言葉でその不快感や違和感を巧みに表現していることがわかります。
「いとわろし」はどんな古文に登場?
いとわろし
という表現は、『枕草子』の専売特許というわけではなく、他の様々な古文
作品にも登場します。それぞれの作品の文脈で、この言葉がどのように使われているかを見ることで、その意味の広がりを感じることができるでしょう。例えば、『源氏物語』では、登場人物たちの容姿や振る舞い、才能などを評価する場面で頻繁に用いられます。ある人物の弾く琴の音色が感心できないものであったり、描いた絵の出来栄えがみすぼらしかったりした場合に、「いとわろし」と評されることがあります。これは、宮廷社会に生きる貴族たちの洗練された美的基準が背景にあると考えられます。また、平安時代後期に成立した歴史物語『栄花物語』では、ある人物の服装が場にそぐわず、みっともない様子を「いとわろし」と表現する用例が見られます。ここでも、TPOをわきまえた装いが重視される貴族社会の価値観が反映されていると言えるでしょう。さらに時代が下り、鎌倉時代に成立した『徒然草』では、物事のあり方や人の心の持ちようについて、より教訓的な意味合いで使われることもあります。例えば、分別のあるべき人が見苦しい振る舞いをすることに対して、「いとわろし」と批評するような使い方です。このように、いとわろし
は平安時代の随筆や物語から、中世の説話集に至るまで、幅広い古文
作品に登場し、それぞれの時代や作品のテーマに応じて、人の行いや物の状態、状況そのものが「好ましくない」と評価される際に、非常に便利な言葉として機能してきたことがうかがえます。
現代語訳するときのポイント
いとわろし
を現代語に訳す際には、いくつかのポイントを意識することで、原文のニュアンスをより豊かに伝えることができるかもしれません。最も重要なのは、文脈を丁寧に読み解き、「何が」「なぜ」よくないと評価されているのかを理解することです。単に「たいそう悪い」と直訳するだけでは、この言葉が持つ繊細な響きが失われてしまう可能性があります。例えば、人の才能や技術に対して使われているのであれば、「非常に下手だ」「お粗末な出来栄えだ」といった訳がしっくりくるでしょう。一方で、人の振る舞いや見た目に対して使われている場合は、「たいそうみっともない」「ひどく見苦しい」「感心できない振る舞いだ」のように、品性に対する評価であることを示す言葉を選ぶと、より原文の意図に近づくかもしれません。また、状況そのものに対して使われている場合は、「非常に興ざめだ」「まことに残念だ」「たいそう気まずい」など、その場の雰囲気や話者の感情を汲み取った訳語を探すことが求められます。特に『枕草子』のように、作者の主観的な美意識が強く反映されている作品では、「私の美的感覚からはたいそう許しがたい」といったように、評価の主体を補って訳してみるのも一つの方法です。いとわろし
の一語に含まれる、失望、不快、軽蔑、同情といった様々な感情のグラデーションを読み取り、最もふさわしい現代語を選ぶ作業は、古文読解の醍醐味の一つと言えるでしょう。
「いとおかし」への粋な返し方とは
いとおかし
という言葉は、現代でもその響きの美しさから、SNSなどで見かけることがあります。もし、誰かがあなたの言動や持ち物に対して「いとおかし
」と賞賛してくれたとしたら、どのような返し方
をすれば、その場の雰囲気をより楽しめるでしょうか。これは古典の厳密な解釈というよりは、現代的なユーモアの問題ですが、少し考えてみるのも面白いかもしれません。一つの粋な返し方
としては、同じく古典的な響きを持つ言葉で応じることです。例えば、「げにさることあり(本当にその通りですね)」や「まことにさよう(実にそのようですね)」と相槌を打てば、相手の感性に同意する姿勢を示すことができます。あるいは、少し謙遜しつつもウィットに富んだ返しとして、「そなたの心こそ、いとをかしけれ(あなたのその感性こそ、大変趣深いですよ)」と、相手の感受性を褒め返すのも素敵かもしれません。また、少し変化球として、相手が『枕草子』を意識していることが明らかなら、「春はあけぼの、夏は夜にございますな」などと、有名な一節を引用してみるのも一興です。ただし、これらの返し方
は、あくまでお互いに言葉遊びを楽しめる関係性であることが前提です。相手がどのような意図で「いとおかし
」と言ったのかを見極める必要があります。もし単なる軽い褒め言葉として使っているようであれば、難しく考えずに「ありがとう」と素直に返すのが最も自然で、好感を持たれることでしょう。古典の言葉を現代のコミュニケーションに取り入れる際は、そのような柔軟な判断が求められるのかもしれません。
いとわろしの意味を総括
今回はいとわろしの意味
について、様々な角度からお伝えしました。以下に、本記事の内容を要約します。
・いとわろし
は「いと(とても)」と「わろし(よくない)」から成る
・「わろし」は「感心しない」「みっともない」「下手だ」など文脈で意味が変わる
・いとわろし
は主観的なネガティブ評価を表す言葉
・『枕草子』の「いと」は清少納言の感動や評価を強調する重要な副詞
・「あし」は客観的・絶対的な悪、「わろし」は主観的・相対的な悪
・『枕草子』では興ざめな状況や気まずい空気感を「いとわろし」と表現
・『源氏物語』では人の才能や容姿の評価に「いとわろし」が使われる
・現代語訳では「たいそう感心しない」など文脈に応じた訳語を選ぶのが重要
・いとをかし
は「非常に趣がある」というポジティブな感動を表す
・いとわろし
といとをかし
は清少納言の感性の両極を示す
・「いとうれし」は「たいそううれしい」という直接的な喜びの表現
・「いとおかし」への返し方として古典的な言葉で応じるユーモアがある
・ただし現代では「ありがとう」と素直に返すのが最も自然
・いとわろし
の理解は平安貴族の美意識や価値観を知る手掛かりとなる
・古典の言葉のニュアンスを知ることで読解がより豊かになる
いかがでしたでしょうか。「いとわろし」という一語の奥には、平安の人々の繊細な心の動きや、厳しい美意識の世界が広がっています。この言葉の本当の意味を知ることで、古典作品がより立体的に、そして人間味あふれるものとして感じられるようになることを願っています。